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尊敬する兄貴の話(^_-)-☆

尊敬する兄貴の話(^_-)-☆

お盆を過ぎて、夏も後半です。皆様には、残暑お見舞い申し上げます(^_-)-☆

先週の木曜日8/13はお盆の入りということもあって、都内に住む僕の兄、姉と一緒に亡き両親の墓参りに行ってきました。その時の写真です。兄は車椅子生活かれこれ40年以上の人生ですが、超逞しいので、今日は僕の兄貴のことについて書いてみます。

兄は以前の僕のブログ(5/7発信)にも書きましたが、高校3年生の時、体操の跳馬で演技途中に空中でバランスを崩して落下…頸椎圧迫骨折の大怪我を患ってしまって、一命はとりとめたものの、その後下半身不随状態の生活を現在まで送っています。
都内・清瀬市に住んでいます。写真に写っている姉が内科・小児科の開業医なのでそこの病院で医療事務を担当して生活しています。姉の病院は日野市にあって、兄の住む清瀬市からは🚙で1時間半ほどかかりますが、今は週に5日出勤しています。

彼は怪我をする前は、全国でもトップレベルの体操選手で、僕はその当時、兄を競技者のライバルとして意識していました。

その兄が事故に合った当時は家族みんなが途方に暮れた日々を送っていました。それでも人間は「どんな状況でも立ち上がって前に進もう」とするんですね。

兄は母校の鹿児島実業高校で事務職員として勤務しながら同校体操部のコーチとして後輩の育成にあたって多くの生徒さんを全国大会に出場させて全国インターハイや国体会場でも車椅子の名コーチとして知られる存在でした。

そんな貢献感の強い兄でしたが、彼の中には自身の不完全燃焼的なチャレンジ精神がまだまだたっぷりすぎるぐらいあったとみえて、僕らからすれば突然、鹿児島実業を辞めて、家出して奄美大島に移住してスキューバーダイビングの世界にのめり込んでいったのです。大好きだったんですね。海が。

そして彼はスキューバーダイビング界の、あるチームに所属していて、障碍者にしては無謀とも思えるダイビングインストラクターを目指しました。当時も今もそうなんですが、下半身不随の身障者がDiving instructorの資格を取得すれば「日本初」という凄い挑戦でした。

彼の挑戦はNHKが取材にきて、「障害と共に生きる」という番組で全国放送されました。(写真) その頃の兄はとっても輝いていて素敵でした。大阪からDivingに訪れた16歳年下の女性と結婚して第二の人生を順調にスタート切ったかのようにみえました。 見えました…なので、そうはいかなかったわけなんだけど🤣 

水中で下半身を思うように操ることができないというリスク。スポンサーがつくわけでもなかったので、Divingーshop経営面の問題など抱えて彼は夢半ばでこの道を退くことになります。

日本初のDiving instructorとしてのデビュー出来ぬまま…彼は島で経営していたDivingshopを閉じることになります。その後嫁さんとも別れて、島を引き上げて上京しました。

そして東京では、医療事務の資格を取得して、姉が経営している「多摩平内科・小児科」でレセプトを打って、現在に至っていると。まあこういう流れです。

清瀬市の障害者専用マンションで超セレブな愛猫「ベンガル」と一緒に暮らしています。お付き合いしている彼女はいるけど、結婚願望はあるんだかないんだか? それは彼の課題なので僕らはノータッチなの🤣 

まあ、こんな感じのエネルギッシュな兄も、もう65歳。ちょっと貫禄つき過ぎなんじゃない? 週5日通う姉の病院で患者さん達と向き合う日々です。 気が付くと…兄弟3人とも結果的に医療・健康関係の仕事に就いていて、世の中の「痛みを抱える人々」を幸せにしようって頑張ってるから、なんだか嬉しいような。

人を笑顔にできる人生って素敵だなと今は思っています。

重光の兄弟三人三様に、自由で自分らしい生き方があります。お互いの生き方を尊重して、且つ自立して「自分らしく生きる」これってもしかしたら今は亡き両親が3人に伝え残した生き方なのかも知れません。

今日はこんな感じで僕の兄について少し紹介しましたが、今度はいつか姉のことも書くかもです。姉もまた半端なく凄い人物ですので。

ということで今日も最後まで読んでいただいて有難うございましたm(__)m

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