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整体の修業時代…僕を拾ってくれた山根悟先生に感謝m(_ _)m

整体の修業時代…僕を拾ってくれた山根悟先生に感謝m(_ _)m

前回11/5のブログからの続きです(^^)/

最初の勤務先(壮快カイロプラクティック)を3カ月でクビになった僕は、やっとの思いで「逗子整体院」に雇ってもらえることになりました。

その時僕はまだ専門学院の1年生だったので、住まいの(品川区)戸越から朝6時台の電車で逗子へ。8時~夕方5時まで勤務したのち、そのまんま五反田の学院(大川カイロプラクティック専門学院)の夜学を受講。家に帰り着くのは夜の10時半頃。そんな感じで、戸越~逗子~五反田の3か所を往復する生活でした。学院の講義の後には毎回テストがあったので、毎日電車の中で必死に解剖学を勉強していました。52歳~53歳にかけて…まあ自分でもよく頑張ったんじゃないかと思います。でもやらないと先に進めなかったから(;^ω^)

ところがですよ…僕を一発採用してくれた凄腕の田中院長は、その1か月後にお父さんの身体の具合が悪いという理由で副院長の五味先生と二人一緒に退職してしまったんです。
愕然としました。Why? because…僕らは田中院長の高い技術を学びたかったから。なのに残ったのは学院卒業したばかりの吉田さんと同期の加藤さん、内藤さんと僕の4人だけになってしまいました。

この後、治療技術をどうやって学ぶか?ってなるわけ。大川学長の判断で、院長に吉田さんが就任して、あとの3人がシフト制でスタッフを務めることになりました。

経営は学院本部からの指導もあったのでなんとか切り盛りできていましたが、治療技術に関してはめちゃくちゃ餓えていました。患者さんを施術するにも内心は半信半疑の技術を試行錯誤しながら駆使して向き合っていた毎日でした。治療院としてはレベル低かったし、勉強ができる環境ではないと認識していました。

「ここは自分が長く勤める場所ではない」と…学院の授業がそろそろ終わるその年の秋…僕は「逗子整体院」を退職しました。

そして鹿児島の同級生(渡辺信一郎君)から誘われていた出張専門の整体屋みたいな事業を起業するチームに参戦しました。メンバーは、僕と渡辺君ともう一人、木村先生という鍼灸師の3人でスタート。ゆくゆくは会社にしようと目論んで始めました。住居も戸越から亀戸に引っ越しました。 

ところがどっこい今度は、スタートして3か月後に木村先生の奥さんが乳癌を患ってしまって…この事業もたったの3カ月でシャットダウンでした( ゚Д゚)

再び無職となった僕は途方に暮れてしまいました。…この時は鹿児島に帰ることを真剣に考えたりして、姉と兄にに相談しました。

そんな落ち込んでいた矢先、僕に仕事(修業の場)を提供してくれたあるビッグな先生との出会いがありました。当時、日本ではまだそれほど多く存在していなかったDC(米国公認のドクターオブ・カイロプラクティック)の称号を持つ山根悟先生です。アメリカのナショナルカイロプラクティック大学卒業後、日本にカイロを広めた一人者です。掲載した写真が山根悟先生です。

以前、僕は山根先生が経営していた四谷の「山根カイロプラクティック研究所」に出向いて「僕の手技を受けてもらえませんか」といきなり売り込みにいったことがありました。その時、山根先生から「なかなかいいんじゃない。僕が経営する整骨院で働かない?」と言っていただいていました。

僕はもう「ここしかない」と、すがる思いで山根先生のグループに飛び込みました。「山根先生、有難うございます。一生懸命頑張りますので何卒宜しくお願いしますm(_ _)m」と。

山根グループは当時、駒込~堀船~小台周辺に数か所の整骨院を経営されていて、僕はその中の三院を転任して勤務。約3年半ほどお世話になりました。
上京していろんな現場を出入りした僕でしたが、結果、ここでの3年半が治療家として修業した最も勉強になった最後の砦になりました。

当時の生活は、朝から晩まで院に詰めて仕事。休みの日はイヤホンで東京FMを聴きながら荒川の土手をランニングするのが楽しみなくらいで、あとは買い物と家事で一日が終わる。そんな毎日の繰り返しでした。恋愛も娯楽も何もなく、ただひたすら治療家としての修業です。それでもたまに山根グループの飲み会があったり、社員旅行で一度だけ韓国にも連れて行ってもらったことがありました。お給料は20万円そこそこでしたが、修業ってそんなものです。お給料頂いて現場経験を積めるんだから有難いもんですよ。常に未来を見据えていたからこそ頑張れたんだと思っています。

ここでもたくさん失敗しました。大きい声では言えないけど…患者さんを2度ベッドから落としてしまいました。施術を誤って高齢患者さんの肋骨を折ってしまいました。それらの失敗の全てを山根先生がケツを拭ってくれました。菓子折りもって一緒に謝りに出向いてくれました。

最終勤務先は北区・滝野川に当時あった、「もみじ整骨院」でした。僕の娘と同世代の山根先生の息子・章氏が院長を務める院です。章院長にも相当ご迷惑かけしましたが、大変お世話になりました。山根先生と章院長、そして奥様の真由美さんと山根グループのスタッフの先生方には本当に感謝しています。足手まといにしかならなかったであろうこのような変なおじさんをよくここまで面倒見てくれて…本当に有難うございました。めちゃめちゃ感謝しています。

遊びにも行かずコツコツと貯めたお金で独立開業を思い立ってから、逗子に整体院を構えるまで、それほど多くの時間を要さなかったと記憶しています。

以前、「逗子整体院」に勤めた時に、逗子と葉山を隅々までくまなくポスティングして回ったおかげで、逗子の街を知り、逗子が大好きになっていって…「いつの日か…開業するなら逗子で」と決めていました。だから逗子海岸のすぐ近くに今の物件が出た時には即決でした。

現在の「逗子新宿二丁目整体院」をオープンしたのが57歳の夏。今、開業以来6年が経って、月の売り上げも修業期の5倍程は稼げるようになって経営も安定しています。整体を通して患者さんが笑顔になってくれるのが嬉しい仕事です。逗子の街も海も、益々大好きです。住めば住むほどに…逗子は僕にとって素敵なオアシスみたいな居場所になっています。

これから先も、重光裕行はもっともっと成長して、地域のため、自身のため、家族・友達のために貢献して…死ぬ直前まで元気に楽しんで生きていきますので宜しくお願いします(^_-)-☆

今回もまた、長文になりましたが最後まで読んでいただいて有難うございましたm(_ _)m

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