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52歳からの挑戦…鹿児島から上京。整体業の道へ(^_-)-☆

52歳からの挑戦…鹿児島から上京。整体業の道へ(^_-)-☆

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前回…10/22のブログからの続きで…離婚と同時に前職の二宮育美幼稚園経営を辞めてから逗子に整体院を構えるまでの10年ちょっとの記録です。

出来るだけ端折って書くつもりですが、とにかく書いてみますね(;^_^A

離婚、離職した僕は故郷の鹿児島の実家(と言っても両親は他界して誰も住んでいない一軒家なのですが)に帰りました。一旦ここで人生をリセットしようということでのびのびと暮らしました。生活費は幼稚園で体操教室などで稼いだお金がそこそこあったので、就職はしないで、遊んで暮らしているようなもんでした。

まあでもその間にパソコンも使えるようになったし、シャバを客観的に見るには良い機会となりました。

そんなある日、以前勤めていた垂水市の水の上小学校の養護教諭だった大山ひとみ先生から、「重光先生!私、小学校を退職した後にカイロプラクティックの仕事をやっているんだけど、重光先生は体操の先生だから人の身体とか健康について興味あるんじゃない?よかったら一緒にやってみない?」っていうお誘いを受けました。

ひとみ先生は、「日本カイロプラクティック連合会」という団体に所属していて、その団体の鹿児島支部の副支部長を務めていました。そろそろ就職したかった僕はその提案に乗っかりました。ひとみ先生が言うようにこの整体という業種は人さまの身体を整えて健康にする仕事なので、僕はとても興味を持ちました。実際、やってみると、すんなり入っていきました。技術職なので理論はもとよりテクニックのお勉強が多かったので楽しかったです。最初は。

何故「最初は」…なのかというと、この組織(日本カイロプラクティック連合会)は、ネットワークビジネスの仕組みで一般の人をセミナーに誘って、更にクライエントさんを相手に、「歪みをとる」などとうたって健康まくらやマットレスなどのgoodsを販売して利益を得るみたいな。そんな団体でした。

これは僕の性にあっていないと思ったので半年ほどで退会。ちゃんとした学校で整体の勉強しようと決めました。鹿児島にもいくつか専門学校があったけど、東京の方がたくさん学べそうだし、この際人生の再出発と決めて上京しちゃおうというノリで上京。 東京の五反田にあった「大川カイロプラクティック専門学院」に入学しました。品川区の戸越にアパートを借りて。その時僕は既に52歳だったでしょうか…いい歳こいたおっさんですよおっさん🤣

そこでは学院に通いながら、OBが経営する整体院などで実践を兼ねたアルバイトができたので、低賃金ではあるものの、学びながらお金がもらえるという駆け出しとしては有難い境遇だと感じていました。

最初に僕が奉公させていただいたのが江東区・門前仲町にある「壮快カイロプラクティック」という大川学院のOBの松本斉院長が経営する整体院でした。

既にスタッフが4人ほどいましたが、僕が最年長者でした💦 まあでもそんなことは最初から承知で来ているから「そんなのかんけいな~い。おっぱっぴ~」みたいな感じでした。技術の習得もそこそこ速かったったと記憶しています。就任3カ月目には箕輪にある分院を週に一回でしたが僕一人で任せてもらえるまでになっていました。

この時の慢心というかおごった気持ちが、その後の僕をドツボに突き落としたんですよね~…あ~れ~( ゚Д゚)ってな感じで転げ落ちていってしまいました。

箕輪の分院を任されたある日のこと…日が暮れて、そろそろ終了作業にかかろうとしていた時に、汚れた身なりの青年が身体をくの字に曲げて来院。

「仕事で腰を痛めちゃったんですけど診てもらえませんか?」と言うんですね。確かビルメンテナンスの仕事帰りでした。

僕は心の中で「やった!新患だ。治しちゃおう」と思って、喜び勇んで施術に臨みました。 結果、見事に痛みが軽減して、更に次回予約まで頂いたので、僕はもうルンルン気分でした。「褒めてもらえるぞ」みたいな。

で、その日の報告で院長にその時の状況を一部始終報告しました。自分的には「てがら」だと勘違いしてたんですね。

僕は大きな過ちを犯していたのです。 規則を破ったのです。分院での業務下では「新規の患者は診てはいけない」という院長からのルールに違反したのでした。

そのルールは勿論知ってはいました。僕の中では「辛い症状の患者さんを助ける為なんだから」という安易な考えから、例外として許してもらえそうな予感みたいなのがあって。でも後でよくよく考えると、駆け出しの僕が新規の患者を下手に治療して失敗したら院の責任問題になるわけですよ。だからこのルールは当然のものなわけです。

…それから数日後、着任3カ月目にして、僕は壮快カイロプラクティックをクビになりました。鼻からギューニュー((+_+))

松本院長には、ご恩を仇で返したような結果になってしまって本当に申し訳ない気持ちでした。

さあ、ここからが大変でした。次の修業(アルバイト先)の場を見つけなければなりません。大川学院OBの院を数か所訪ねて面接・実技試験受けて回りました。

どこもかしこも不合格です。年齢もその理由の一つだったのでしょうが…なんせ壮快をクビになった輩なので、(もし自分が院長だったとしても)雇わないでしょ。普通。

武蔵小山のOBの院では僕を2週間仮採用してくれたものの、僕よりも若い新規スタッフが転がり込んできたものだから、僕はその時点で不採用になりました。その時はお給料0円でした(泣)

こんな感じで無給ジプシー生活が1カ月くらい続いたでしょうか? 

そんな矢先、神奈川県の逗子という街の「逗子整体院」がスタッフを募集しているという情報を得ました。

当時、この逗子整体院には田中院長という強面で超厳しい院長がいらっしゃると聞いてはいたものの、そんなことでビビってる場合じゃないと思って。

九州から状況してきたばかりの僕にとっては、それまで聞いたこともなかった街に🚃で1時間かけて面接に出向きました。

玄関を開けて中に入ると、奥の方から(噂の)田中院長が出ていらして、ニコっと笑みを浮かべて僕を中に通してくれました。

僕は、壮快をクビになったいきさつも含めて全て正直に話しました。

そしたら田中院長は「ほう…それは大した度胸じゃないの。うちでやってみる?」と言って採用してくださったのです。

わーい(((o(゚▽゚)o))) ヤッターという…こんな流れで僕は生まれて初めて「逗子」という街を知ることになったわけですけど。

今日も最後まで読んでいただいて有難うございましたm(_ _)m

尚、この続きは次回…11/11発信のブログにて公開しました(^_-)-☆

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