逗子駅
徒歩10分
7/30のブログからの続きを書きます。
鹿児島の垂水小学校を退職した僕は、神奈川県中郡二宮町にある学校法人二宮育美幼稚園に就職しました。学生時代に幼稚園~高校までの教員免許は取得していたからそれが活きました。
ここは当時の僕の妻の両親が経営していた園です。僕が入った当時(平成2年)は、園児数100人ほどの小規模な幼稚園でした。山の斜面を利用して園舎が建っていて、周囲を緑に囲まれていて、立地は幼児教育にもってこいの環境でした。
前職の小学校の現場で心が疲れ切っていた僕でしたが…ここの自然に囲まれた環境と、何より職場が替わったことで、徐々に本来の元気な自分に戻っている感覚がありました。
園児送迎バスが1台ありました。担任は持っていなかったです。出来るだけ子供達や保護者の方と触れ合う機会を多く持とうと、大型免許を取得して園児の送迎をやりました。園庭や裏山、プール等の環境整備、そして園児との体育的な活動で関わっていきました。
毎月一回発行の園だよりや各お知らせなどの通知書も僕が担当しました。
すっかり元気を取り戻した僕は、「この環境でこの園児数ではもったいない。もっとたくさんの子供達に育美幼稚園を知ってもらいたい」と思うようになりました。
どうしたら園児数を増やせるか? そう。集客です集客。
思い付いたのはDM。ダイレクトメールをばら撒いて未就学園児を呼び込もう作戦です。
ノウハウは…近隣の市町の役場に出向いて住所録を閲覧してノートに書き写す作業から始めました。
当時はまだ個人情報保護法なんていうのが無かった時代で…役場の住民課では、監視付きではあるものの住民台帳の閲覧が出来たんですよね。生年月日を次年度入学可能児に特定してチェックして手書きで書き写しました。閲覧料を一件につき200円くらい払ってね。
二宮の近隣の市町というと、大磯町、中井町、秦野市、小田原市です。
そうとうな数だけど、頑張ってせっせとダイレクトメール作りました。ターゲットを絞り込んで、そのお宅に直接幼稚園の案内書が届く仕組みを作って実践したという話です。
案内書の中には園の特色として
確かこの3つを売りにした文章と写真を入れて「いつでも園に見学を兼ねて遊びにいらしてください」とうたった内容でした。
作戦は見事に的を得て…大成功でした。DM発送直後から、問い合わせの電話がどんどん入ってきました。
そして親子連れで園見学に来てくれました。園内の案内役は僕が買って出ました。元々人懐っこい性格だから、こういうの得意だったかも🤣
翌年から新入園児が少しずつ増えていって…僕が入って3年後には、200人を超えて二宮町で園児数が一番多い幼稚園に成長することが出来ました。
園の教育・行事でも男性教諭らしいというか重光らしさをどんどん出していきました。
運動会ではバク転も切るし体操の模範演技なんか見せちゃうから子供達も保護者も大盛り上がりです。
「おやじの会」を立ち上げて、園行事その他で父親と一緒に活動しました。例えば運動会の準備や餅つき、宿泊キャンプ等には積極的に協力していただきました。
当時は本当に燃えていましたね。凄く楽しかった。やることが全て園の発展に繋がっていくのが実感できてたし。
体操の経験を活かして「しげみつ体操教室」を作って園児の体力作りに一役買いました。教室からは、優秀な子供も量産しました。隣の秦野市で開催された第4回とびうお体操競技会では、中戸川葵君が金メダルとりました。
年長さんを全員山中湖に園児バスで連れていって宿泊~山登り体験みたいなことも取り入れました。幼稚園の子供が親から離れて山中湖で合宿して山登りですよ。凄くないですか? その一部始終を悦子先生(前妻)がビデオに収めて持ち帰ってダビングして、保護者の方に観ていただくんだけど…もうその映像は涙なしには観られない代物でしたよ。
これだけやってる幼稚園は他にないでしょ?っていうくらい…今考えると凄いことをやってのけたと自分でも感心します(’ω’)
今は、僕が15年ほど前にこの幼稚園から抜けたので、悦子先生(前妻)が園長兼理事長を務めています。あと僕の長女・あゆみ先生と次女の早帆先生、そして前妻の長女(千穂先生)とその夫がチームになってたくさんの先生方に支えられながら皆さんで頑張って経営されていると聞いています。今では園児数は既に300人を超えていると思いますよ。送迎バスも大小合わせて5台くらいで回しているそうです😮
今、正に湘南地区においては、ゆるぎないマンモス幼稚園として認知されています。
この幼稚園を僕が去った理由は「離婚」です。その離婚の理由までここに書くのはタブーなので書かないけれど…決して悪事をやらかしたとか浮気とかお金の問題とかそういう理由ではないので、そこはご了承ください。あくまでも僕自身の「生き方」の選択があったまでです。
ただ、悦子さん(現園長)はとても素敵な女性だったし経営者としても立派な人です。僕は今でも彼女を尊敬しています。
当時、園への外部からの評価は「超ワイルドな重光先生と上品できめ細かな悦子先生でバランスがとれていてちょうどいい」みたいな感じでした🤣
それがいつの間にか二人の間に、外側からは見えない溝ができてきて…それがだんだん大きくなっていきました。生き方の上で、僕と彼女の相性・価値観が大きく異なったということなんです。どちらかが悪いということではないと思います。
森田公一&トップギャランの曲に「過ぎてしまえば皆美しい」という歌詞がありますが、ホントそうなのよ😊 決断とか別れとか…その時はマジ苦しいけど、時が流れて過ぎ去った後には、そこに思い出というBeautifulな映像が残る。そして人は今日(きょう)を生きる。明日に向かって生きる( ^^) _U~~
僕の人生シリーズも第3話まで書き終えました。今回も長かったですね。これでも随分端折って書いたつもりです。悪しからずごめんあそばせm(__)m
次回は僕の人生シリーズ最後になろうかと思いますが。
育美幼稚園を離れた僕は、50歳を目前にして一旦、故郷・鹿児島に帰ります。そしてそこ(鹿児島)で一服して(十分な休養をとって)52歳で再び上京(都へ上る)して、整体師の道を歩み始めて…現在に至るみたいな。まあ、この10年間も振り返ると、超オモローなので乞うご期待ください(^_-)-☆
この続きを11/5発信のブログで公開しています。52歳からの挑戦(^_-)-☆
今日も最後まで読んでくださって有難うございましたm(__)m😊
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