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挫折を「自信」に替えて生きる(^_-)-☆

挫折を「自信」に替えて生きる(^_-)-☆

皆さん、こんにちは☺

今日の逗子海岸は、超さわやかな青空が広がっていて、海の色もまさにオーシャンブルーで素敵、最高(^_-)-☆

今日のお話は「自信」についてです。僕自身が体験したの中学時代の挫折の経験を自信へ替えて生きた話を綴ってみました。

自院のHPにも少し書いてあるんだけど、僕は小学校の頃から体操を始めて、将来は「五輪で金メダル」という夢に向かって意気込んでいました。

学校では、毎日休み時間が来ると校庭に飛び出していって、バク転・宙返りの連続技や鉄棒の大車輪なんかを友達と補助し合って練習していました。

中学校に進学と同時に迷わず体操部に入部して、中学校3年の時に鹿児島県の中学体操選手権で個人総合優勝しました。これで…「さあ次は全国大会や~全国で上位を狙っていこうやないけ~✊」みたいな調子で波に乗っていました。

ところが、その夢に向かう最中、僕の家族に大ショックで衝撃的な事故が起きてしまったのです。 三つ歳上の兄が、体操の練習中に頸椎圧迫骨折という大ケガをして生死をさまよったのです。

僕の兄は当時、全国レベルの体操選手でした。東の梶山か西の重光かと注目された選手でした。梶山選手はその後モントリオールで金メダルとった選手です。

その兄が、1972年・7月の全九州高校体操選手権(九州インターハイ)の会場練習中に、跳馬で空中失速して頭部から落下して頸椎を骨折したのです。

脊髄を損傷する大けがでした。怪我と言うより事故ですね。一命はとりとめたものの、救急病院へ搬送されて、そこでは頭蓋に穴をあけて重りでけん引2週間。その後大掛かりな手術には成功したものの、下半身には麻痺が残りました。

それ以来兄の人生はガラッと変わって…下半身不随の車椅子生活を送っています。

それまで家族にこんな大きな出来事が起きたことがなかったので、一家はめちゃくちゃ沈みましたね。ちょうど夏休みに入ろうとしてた時期で、僕は自分の練習がほとんど手に付かず状態でした。学校に行っても、ぽか~んとして魂が抜けたみたいな。

そしてそんな中、8月には全国中学校体操選手権が開催予定で、各県から一人だけ代表選手を出場させるというものでした。重光家では兄がそんな状態だったので、監督の先生もそんな状況下の両親・家族の意向をくんでかどうかわからないけど、僕の全国中学選手権への出場は無くなりました。

全国大会に出場したのは、同じ中学の同級生で、当時鹿児島県2位の山本克志君でした。その山本君の試合結果が…なんと全国で6位に入賞したんです。あのロスアンゼルス五輪の代表・森末信二選手や山脇恭二選手がそれぞれ1位、3位に入った全国大会での6位入賞は、めちゃくちゃ凄い結果です。

僕は当時の城西中学(出身校)のレベルはかなり高いという自負を持ってはいましたが、まさか県で2番手の選手が出場して6位に入賞するレベルにあったとは想定外でした。その結果を自身で受け入れたときに、ことの大きさを悔やんでいる僕がいました。自分が出ていれば…みたいな悔しさです。いやホントに。僕はその時、大粒の涙を、ぼろぼろボロボロぼろぼろボロボロと…涙がずっと止まらなかった自分の姿を今でもはっきりと覚えています。

その時の僕の正直な気持ちは…「もし自分が全国大会に出場していたら、間違いなく1位か2位には入れたはず」…という、何とも言えない悔しいような情けないような感情が溢れてきてどうしようもない精神状態でした。起きた事実を受け入れられないほどの悔しさみたいな感情です。

その一月後の8月末には、全九州中学大会が鹿児島で開催されたのですが、この大会には僕も中学校最後の大会ということもあって、鹿児島県のチームで出場させてもらうことになりました。 この九州大会では、大分から全国3位入賞の山脇恭二という選手が出場しましたが、僕はその山脇選手に勝ってその九州大会で個人総合優勝を果たしたのでした。

それでも僕の気持ちは全く満たされないままでした。「体操ってこんなに怖い競技だったんだ…でも本当は大好きだから体操やりたいのに。両親にもこのまま僕が体操続けていって心配かけるわけにはいかないし」みたいな感じで意気消沈。「自分の体操はもう終わったんだ」と断念した…中学校最後の辛くて悲しい思い出です。

城西中学3年時の卒業文集に僕が書いた言葉は今でも覚えています。「中学校生活がこんなものとは思わなかった」と締めくくっています。それほど辛くて悔しくて哀しい中学3年生でした。 常に積極的で活発だった重光少年が一気にどん底に落ち込んだのです。

その後も僕は、ずっと「もぬけの殻」状態で、月日だけが過ぎていきました。高校受験も中途半端で受験して不合格。そのころから僕は、不良少年達と遊ぶようになって、そっちの道に傾いていったのです。

不良時代のやんちゃぶりは半端なかったです。鹿児島市内に3つ大きな警察署があるのですが、全署のリストに僕の名前が上がってたみたい☺ 単車はKAWASAKIのRS750㏄にノンヘルで載って、いかした彼女を背後霊みたいに後ろに乗せて、バコンバコンと突っ走っていました。

暴走族とかには属さない一匹狼的な不良でした。市内で番長張ってた三浦守君(彼はその後柔道で世界を跨ぐ活躍をしています)と大の仲良しで、カブ喧嘩(集団で取っ組み合う喧嘩)なんかは、いつも三浦君がパンパ~ン、ドスンと投げてあっという間に終了。さあ逃げるぞ~即撤退。チャンチャンみたいなことを繰り返していました。ガキのくせに結構酒飲んで🏍乗ったり車も無免許で乗ってましたね。…当時は、さもそれが格好いいことのように勘違いして粋がっていて、不良少年時代を謳歌していました🤣

そんな時期が1年くらい続いた頃…だんだん自分の心が虚しくなってきたんですね。…結局、「俺、やっぱ体操が好きなんや。もう一度体操やりたい。体操やる」という気持ちに変わっていきました。

それで、中学校時の体操部顧問の野間一男先生に相談して、県立高校でで体操が出来る環境のある錦江湾高校という、当時はまだ新設4期生という高校に一年遅れ(ダブり)で入学出来て、そこでまた基礎から体操始めました。

そこから先は、努力の甲斐もあって、高校2年からインターハイ、国体に出場し、大学は中京大学に進学。全日本インカレ等では、そこそこの活躍をしてきました。 それでもロスアンゼルス五輪にはとても届かないなと、自分の限界を感じて…体操選手としての一線を退いたのでした。

そうなると、そこでまた虚しくなった自分がいて(人生2度目の凹み?)就職どうしよっか? 体操だけをがむしゃらにやってきて、大学で教員免許はとったものの…教員なんてなる気あれへんみたいな☺

それでも結局、両親の勧めなどあって、鹿児島県の教員採用試験を受けて合格。小学校の教員生活が始まったのが24歳の春でした。

ここまで書いただけでだけでかなり長文になってしまいました…どうしよう💦 その後の人生も超面白い(波乱万丈?)んだけど、今日はこのくらいにして、最後まとめてみます。

僕は、あの時の重光裕行に自信を持ちました。どういうことかというと…自分は「全国・世界で通用する体操選手の実力を持っていた」という自信です。結果的に僕が全国や世界で1番とれなかったけど、「そこに匹敵するくらいの力は持っていた」という自分の中での自身です。そして自分の中で、「やればできる男」みたいな根拠のない自信へと勝手に膨らませていきました。

僕の父親は奄美大島の徳之島の出身で、昔、島の相撲で県のチャンピオンになった人物でした。その後各界に入門して横綱まで張った「朝潮」が父の付き人だったと聞いています。だから僕はその強い父親の血統を受け継いでいるはずです。そんなことを自分で勝手に自信に替えてしまうんですね。血統は上級なんだからお前も大丈夫。「自信もって生きよう」と自分自身を鼓舞しました。

僕の両親はかなり前に他界していて、兄弟が3人生き残っています。

長女は現役の女医で、都内で内科・小児科医(多摩平小児科)を経営しています。兄はその怪我をした後も、下半身不随のままスキューバダイビングのインストラクターを目指して奄美大島の海でダイビングショップを経営したりしていました。現在は姉の病院で医療事務を担当しています。

僕の中には「重光家の3人兄弟の一人としてのプライド」みたいなものがあります。それはおそらく姉兄ともに持っているであろうプライド。

両親は根性があって人情味のある…そういう熱い生き様を子供達に見せてくれました。 僕たち3人の子供達もその姿をみて、同じように熱く育ったのだろうと思っています。 重光兄弟…3人とも根性あるし、やるときはやりまっせ~ ガッテンだぃみたいな感じで( `ー´)ノ 

その「自信」というのは、自分で勝手に設定してるだけなんですけど。これが自身の「生きるエネルギー」になって今まで生きてこられたように思います。

人は生きていく途中にはいろんな困難や壁があると思うけど…それでもこの「自信」さえしっかり持ち続けていれば、なんとかなるってぇことよ🥰 その自信って、勝手に自分で設定しちゃえばOKなんじゃないの?って、そう思います。

そんなわけで…今日は僕の人生の前半…いや1/4くらいまでの話を引っ張り出してきて、「自信」に絡めて書いてみました。

最後まで読んでいただいて有難うございましたm(_ _)m

この続きは7/30のブログで公開していますので、もしよかったら読んでみてください(^_-)-☆

PS…写真は、3年前、両親の墓参りに兄弟3人揃った時のものです。姉貴とぼくが似てるかも?☺

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